オードリーの若林さんがMCを務める「激レアさんを連れてきた。」の2022年2月28日放送に出演した、SMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)のヒライさんこと平井誠一さん。
SMAといえば、
ハリウッドザコシショウ
アキラ100%
コウメ太夫
あっぱれ婦人会
バイきんぐ
錦鯉
など、なんだかヤバめな面子が集まっている事務所です笑
確かに平井精一さんがお笑い界をカオスにしている人というのは分かりますね。
そんな平井精一さんはどこの大学出身なんでしょうか。
独特な面白い芸人を発掘する平井精一さんの経歴も気になりますよね。
この記事では
平井精一の大学は?
平井精一の経歴からお笑い界をカオスにする凄腕ぶりを紹介!
についてまとめていきます。
平井精一の大学は?
平井精一さんは、あくまで裏方をさせる方であり、芸能人ではないため、個人情報は非公開となっています。
そのため、平井精一さんの大学についても情報がありませんでした。
「仕事の中で“好き”を見つける」平井精一のサボり方|logirl (ロガール) #note #これからの仕事術 https://t.co/HraLCRJqQR
— 京都 (@kyotoP) December 22, 2021
しかし、平井精一さんの年齢は2022年現在53〜54歳です。
平井精一さんは、SMAの前は渡辺プロダクション(現ワタナベエンターテイメント)にいました。
ワタナベエンターテイメントの採用要項を確認してみると、大卒などの条件はありませんでしたので、大学は出ておらず高卒という可能性もありますね。
情報がありましたら追記いたします。
平井精一の経歴からお笑い界をカオスにする凄腕ぶりを紹介!
平井精一さんの経歴は以下の通りです。
ワタナベエンターテイメントでお笑い芸人のマネージャー
担当していたのはホンジャマカ
■1998年〜
音楽の世界も見てみたいとSMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)に入社
音楽の宣伝まわり(主にテレビ局)を担当
■2002年〜
SMAが俳優・文化人所属のSMS(旧ソニー・ミュージックスターズ)とSMAが合併し、
総合プロダクションに。
■2004年11月
平井精一が当時の部長に「お笑いを始めませんか」と提案
■2004年12月1日
平井精一が宣伝の仕事と兼務で、ひとりプロジェクトとしてSMAのお笑い部門がスタート
■2005年4月
実力で勝ち上がっていくランク制のライブ(定期開催)を立ち上げる
■2007年
Beach V(SMA主催の50席ほどのお笑い専用ライブハウス)設立
Beach V(びーちぶ)でライブを毎月開催している。
上位5組が上のランクに行ける仕組みで、上から
・NEET PROJECT 6クラス 約90人
(バイきんぐ、ハリウッドザコシショウなど)
「金、銀、銅」
「番外編」
「JUMP、STEP、HOP」
・HEET PROJECT 6クラス 約65人
(未経験から芸歴10年未満の若手)
「大将戦、中将戦、小将戦」
「号外編Aクラス、Bクラス、Cクラス」
となってる。
この他に
・KEET PROJECT 数人
(占い師など文化人的な枠)
がある。
■2011年〜
芸人たちに発破をかけるため、極真空手を始める
極真空手を始めて半年後には大会に出て、黄帯(5級)で関東大会で準優勝
俺の背中を見て、芸人たちにも本気で気合いを入れてお笑いをして欲しいという願いから始められたようです。
■SMA芸人の優勝実績
2012年 バイきんぐ キングオブコント
2016年 ハリウッドザコシショウ R-1グランプリ
2017年 アキラ100% R-1グランプリ
2021年 錦鯉 M-1グランプリ
以上が平井精一さんの経歴です。
SMAでお笑い部門を立ち上げた後、芸人を集めるため「やる気がある人なら誰でも受け入れる」として芸人募集の文字が入ったライブチラシを、よそのお笑いライブで撒き始めました。
SMAでお笑い部門立ち上げ当初、他の東京のお笑い事務所では、養成所で若い芸人を育て、そこからいい芸人を所属タレントにという流れでした。
しかし、平井精一さんは、かなり後発でスタートしたお笑い部門ということもあり、他とは違うやり方をせねばと、いろんなタイプの芸人を集めようとしたんですね。
結果、とっても濃いキャラの方達が集まったんですね笑
平井精一さんのスタンスは「来るもの拒まず、去るもの追わず」です。
うちに来た連中は、そういう人たちを横目に、マニアックに“こういうのおもしろいよな”とコツコツやってきた人間だらけ。でも、だからこそ真面目にネタを作り続けていく人を育てられる。うちに来て一生懸命やれば、形になるんだ。そういう人と、同じ釜の飯を食いたいと思いました。
引用元:Cocotame
真面目にコツコツ取り組む人を育てていくという考えの元、現在も取り組んでいるんですね。
平井精一さんの想いを体現した人で、辞めるのはもったいないと平井精一さんが唯一引き止めたのはコウメ太夫さんだけだそうです。
結果、コウメ太夫さんはエンタの神様で一気にブレイクしましたよね!
また、バイきんぐの小峠さんも以下のようにコメントしています。
ある日、「2カ月に一度新ネタを6本やるライブをやれ」と急に平井さんに言われ、ほぼ強制的にやる羽目になった。
とてもしんどかったけど頑張って続けていくうちに、今までとはネタの構成が少しずつ変わっていき、少しずつウケ始め、その4年後『キングオブコント』で優勝した。
あのライブがなければ、平井さんのあの一声がなければ、僕たちはまだバイトをしていたかもしれません。
引用元:Cocotame
平井精一さんがいたからこそ、バイきんぐのお二人は売れっ子になったのですね。
このエピソードだけでも平井精一さんの凄腕ぶりが伺えます。
平井精一さんは、現在も週4は劇場にいて、芸人さんたちの育成に励んでいるそうです。
まとめ
「平井精一の大学は?経歴からお笑い界をカオスにする凄腕ぶりを紹介!」についてまとめました。
平井精一さんは、会社員の一般の方のため、大学に関する情報はありませんでした。
また平井精一さんの経歴は
渡辺プロダクションでホンジャマカのマネージャーなど
↓
SMAに転職し、音楽関係の宣伝担当
↓
SMAが総合プロダクションになったことから、お笑い部門をひとりプロジェクトとして立ち上げ
現在もお笑い部門の凄腕として活躍されています。
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