出井伸之の経歴と高校大学などの学歴は?2度の左遷理由はなぜ?

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クオンタムリープ株式会社代表の前は、ソニーグループの社長を務めていた出井伸之さん。

 

高校や大学時代から超優秀だったようで、出身校の偏差値が凄まじいです。

どこの高校や大学を出ているのか、学歴が気になりますよね。

 

ソニーに入社してからの怒涛の出世を果たしますが、出井伸之さん、実はその中で2度の左遷を経験しています。

出井伸之さんの社会人になってからの波乱万丈な経歴も知りたいですよね。

 

この記事では

出井伸之の高校大学などの学歴は?
出井伸之の経歴と2度の左遷理由はなぜ?

についてまとめていきます。

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出井伸之の高校大学などの学歴は?

出井伸之さんの高校大学などの学歴は以下の通りです。

・小学校:成城学園初等学校
・中学校:成城学園中学校
・高校:早稲田大学高等学院
・大学:早稲田大学政治経済学部経済学科

(大卒後ソニー入社)

・大学院:ジュネーブ国際・開発研究大学院

 

出井伸之さんの最終学歴は大学院卒です。

出井伸之さんの父親は、早稲田大学の教授で、出井伸之さんが小学校に上がる前は一家で中国の大連にいました。

終戦後には、自由な発言をする経済学者だった父親が仕事を失い、母と姉が大連で洋裁店を開き、生計を立てていました。

 

そんな母を尊敬し、とても母っ子だった出井伸之さんですが、思春期に入るにつれ、遠足や修学旅行にまでついてくる母の過保護っぷりには常に「逃れたい」という気持ちがあったそうです。

 

学生時代から超優秀な出井伸之さんが進んだ高校は、早稲田大学高等学院で、偏差値はなんと75!

超トップ校です。

高校は、電車通学で、2年生の時には写真部の部長になりました。

母の過保護からも逃れ、このタイミングでかなり弾けたそうです笑

 

大学は、早稲田大学政治経済学部経済学科です。

経済学科の偏差値は72、数字からも超レベルの高い大学・学科であることがわかりますよね。

福田康夫元総理、野田佳彦元総理、羽鳥慎一アナなどそうそうたるOBがいる学部です。

 

出井伸之さんは、大学卒業後ソニーに入社します。

ソニー株式会社外国部に入社後、2年目にスイス・ジュネーブに留学

そこでジュネーブ国際・開発研究大学院に入学します。

 

ジュネーブ国際・開発研究大学院のOBは、国際機関の職員や外交官になるという超優秀な人材の集まりです。

世界的にも有名な大学院です。

超優秀だった出井伸之さんが、さらに見識を広げたであろう学歴ですね!

 

▼出井伸之さんの著書はこちらからチェックできます。

出井伸之の経歴と2度の左遷理由はなぜ?

出井伸之さんの大学卒業後の経歴は以下の通りです。

1960年3月 早稲田大学卒業

1960年4月 SONY株式会社外国部入社

      (留学前に妻・晃代と結婚)
1962年    スイス・ジュネーブに留学

1963年    日本に一時帰国、その後2度スイスに赴任

                   (フランス赴任直前に娘誕生)
1968年    フランスに赴任、SONYフランスの設立に従事
      (左遷①

1979年    日本に帰国、音響事業本部オーディオ事業部長就任

1982年頃  (左遷②

1988年    ホームビデオ事業本部長就任
1989年      取締役就任
1994年    常務取締役就任
1995年4月 代表取締役社長就任
1999年6月 CEO就任
2000年6月 会長兼CEO就任
2005年    会長兼CEO退任
2006年9月 クオンタムリープ株式会社設立

 

結婚した妻や子供については、出井伸之の子供(息子・娘)や妻など家族構成!自宅はゴルフ練習場付超豪邸!をご覧ください。

 

SONYに入社した時は、外国部での入社だったことあり、入社後は、スイスやフランスパリなど、海外赴任が数年間続きました

1988年のホームビデオ事業本部長就任後からトントン拍子に重役での出世を果たします。

1995年に社長に就任してからは、プレイステーション2やPS one、PSPの販売などを牽引し成功を納めました。

 

また、社外においても取締役等を務め活躍しています。

・日本銀行参与
・日本経団連副会長
・ゼネラルモーターズ、ネスレ、エレクトロラックスなどの社外取締役
など。

 

とても優秀な方で、社内外から必要とされている人物であることがわかりますよね。

 

そんな出井伸之さんが受けた2度の左遷の理由が気になりますよね。

出井伸之左遷①の理由

出井伸之さんの1度目の左遷は、SONYフランスを設立時に出井伸之さんがとった手段「金融ディール」が理由でした。

 

当時のフランスは、学生運動が活発な時期であり、日本企業に出資してくれる銀行がありませんでした。

そこで、出井伸之さんは「金融ディール」という方法をとりました。

 

金融ディールとは、顧客(ここではSONYフランス)が金融機関に資産を預け、それをもとに売買(ディール)を繰り返し利益を上げる方法です。

資産の中身は、外国為替や債券など様々です。

 

この方法をとり、出井伸之さんはSONYフランスの立ち上げに成功しますが、この手段をとったことにより、本社の怒りを買いました。

結果、1973年に出井伸之さんが日本に帰国後、ロジスティック部門へ左遷されました。

出井伸之左遷②の理由

出井伸之さんの2度目の左遷は、当時の大賀社長と言い合いになったことが理由でした。

当時コンピュータ事業部長だったた出井伸之さんが、大賀社長と話している際、大賀社長の逆鱗に触れました。

「大賀社長」と社長とライバル関係にある「副社長」どっちにつくのかという、社長からの質問がありました。

それに対し、出井伸之さんは、その当時自分の直属の上司である「副社長につく」と素直に答えたところ、それが大賀社長の逆鱗に触れました

 

45〜46歳のタイミングでの左遷で、肩書きも仕事も剥奪され、3ヶ月は仕事がなかったそうです。

2回目の左遷は、コンピュータ事業部長をやった後で、もう45~46歳になっていました。このときは肩書きもすべて取られてしまい、机を一つ与えられただけだった。

3カ月くらいでしょうか。まったく仕事も与えられず、まるで追い出し部屋みたいな感じだった。

3カ月間、まったく仕事がないというのは長いですよ。こんな僕でも本当に辛かった。

引用元:DIAMOND online

 

2度の左遷がありながらも、仕事を諦めることなく続け、最終的には2度目の左遷のきっかけとなった大賀社長から指名され、SONY代表取締役に就任しました。

まとめ

「出井伸之の経歴と高校大学などの学歴は?2度の左遷理由はなぜ?」についてまとめました。

出井伸之さんの高校大学などの学歴は、早稲田大学高等学院から早稲田大学経済学部、最終学歴はジュネーブ国際・開発研究大学院でした。

 

学生時代から超優秀だった出井伸之さんですが、SONYに入社してから社長に就任するまでには、2度の左遷を経験しています。

それでも諦めずに仕事を続け、社長となってからはプレイステーションなどの大ヒット商品を成功させる功績をあげています。

 

ソニーという大企業のトップに立つ凄腕の人物であることがわかりました。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

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