数々の名言を残され、経営の神様と謳われた稲盛和夫さん。
稲盛和夫さんは国から賞を贈られるほどの偉人ですが、実は学歴を調査したところ、挫折の多い学生時代を過ごしていたことがわかりました。
びっくりだし、どんな学歴、挫折があったのか気になりますよね。
挫折の多い学生時代を過ごした稲盛和夫さんですが、経歴は凄まじく、超がつく凄腕経営者です。
この記事では
・稲盛和夫の経歴が凄まじい!
についてまとめていきます。
稲盛和夫の学歴は挫折が多かった!
稲盛和夫さんの学歴は以下の通りです。
稲盛和夫さん、実は中学受験では2度、大学受験で1度と合計3度の受験に失敗していた過去がありました。
それぞれ詳しく見ていきます。
稲盛和夫の小学生時代
小学生になるまでは母親にべったりで甘えん坊だった稲盛和夫さんでしたが、小学校に慣れてからはガキ大将になりました。
通っていた鹿児島市立西田小学校のクラスで、ある程度勉強できる子は、みんな鹿児島第一中学校を受験していたため、稲盛和夫さんも受験をしてみることに。
しかし結果は不合格で、尋常高等小学校へ進みます。
その頃、稲盛和夫さんは結核にかかってしまいますが、徐々に健康に戻ることができました。
稲盛和夫の中学時代
進学した尋常高等小学校の担任からもう一度鹿児島第一中学校を受験してみてはと提案があり、2度目の受験をしますが、また不合格になってしまいました。
それでも諦めるなと、尋常高等小学校の先生が私立鹿児島中学校の受験手続きをしてくれ、1945年4月に私立鹿児島中学校に入学することができました。
しかし、当時太平洋戦争真っ只中であり、同年8月には稲盛和夫さんの実家も消失。
かなり生活が苦しい中ではありましたが、それでも稲盛和夫さんは中学での勉強に打ち込みます。
そんな中、先生から新制高校へ行くことを勧められます。
しかし、苦しい生活だった事もあり、父親からは中学を出たら働くことを期待されていました。
稲盛和夫さんは「高校を出たら必ず就職する」と頼み込み、鹿児島第三高等学校に進学することができたのです。
稲盛和夫の高校時代
鹿児島第三高等学校に進学してからは、放課後・日曜は父の手伝いで紙袋を売って回っていました。
ここでの経験が、稲盛和夫さんにとっては、お金や商品がどのように動くのかを知る基礎となったそうです。
もともと、高校を卒業したら就職すると約束していた稲盛和夫さんでしたが、大学受験の時期が近づいた頃、「やはり大学に行きたい」と、大反対する父をなんとか説得し受験することになりました。
結核を経験していた稲盛和夫さんは、医学部に行って新しい薬を開発する研究者になりたいと大阪大学医学部を受験しますが、またも受験失敗。
浪人はできなかったので、希望ではなかったものの鹿児島大学工学部に入学します。
稲盛和夫の大学時代
稲盛和夫さんは、鹿児島大学工学部に入学してからは、奨学金とアルバイトで自身で学費を払いました。
大学ではトップクラスの成績となっていましたが、稲盛和夫さんの就職の時期は超就職難の時代で何社も就職試験に落ちています。
最終的には、教授の紹介で、京都の松風工業に就職します。
大学時代までに何度も挫折を味わっていますが、それでも腐ることなく、努力をし続け、大学を卒業するにまで至ったんですね。
※まんが稲盛和夫を参考にしています。
稲盛和夫の経歴が凄まじい!
稲盛和夫さんの大学卒業後の経歴は以下の通りです。
就職難の中、なんとか就職することができた松風工業でしたが、大学で学んだものとは全く違くジャンルの物を取り扱っている会社でした。
しかも経営状態は厳しく、給料が遅れ、寮もボロボロ、一緒に入社した仲間も次々に辞めてしまいました。
稲盛和夫さんも辞めようと考え、実家に手紙を送るも辞めることは反対され、自分が大学に行くために犠牲になって働いてきた兄や妹に申し訳ないと思い直します。
ここから一生懸命やろうと一念発起し、食事の時間も惜しんで徹夜で研究に打ち込み始めました。
そして徐々に成果が出て、利益が上がるようになります。
この頃出会っていたのが、現在の妻である朝子夫人です。
しかし、利益が上がってきた矢先、新任の技術部長ともめ、松風工業を辞めることになりました。
それまでの稲盛和夫さんの働きを知っている上司・同僚らからは、「一緒にやめてついていく」の声が殺到。
後の京都セラミック社長の青山政次さんらをはじめとする方達が資金を出してくれ、新たに会社「京都セラミック株式会社」と立ち上げることとなりました。
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その後大型コンピュータの集積回路用基板
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太陽光発電システム
と事業の主軸を移していき、1982年に京都セラミックから京セラに社名変更をしました。
そこから通信事業に乗り出し、今でも多くの方の役に立っていますよね。
常に誰かの役に立つものをという理念を持って、事業を展開してきていて、稲盛和夫さんの「考え方」を参考にしたいと考える人が多いのも納得の経歴でした。
受賞歴もすごいですよね。
まとめ
「稲盛和夫の学歴は挫折が多かった!経歴がそれでも凄まじい!」についてまとめました。
稲盛和夫さんの学歴は、3度の受験失敗がありましたが、最後の受験失敗により工学部に進学したことが、これまでの稲盛和夫さんの活躍につながっています。
就職でも挫折をたくさん味わい、失敗するたびに悩むものの、そこからひたむきに一生懸命やるしかないと思い直し、努力してきた方でした。
稲盛和夫さんのトップであっても自らも努力し、突き進む姿は心打たれるものがあります。
ご冥福をお祈りいたします。
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